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後藤次利の現在と嫁や結婚について、残した功績も紹介

数年前にインターネットで「彼氏にしてはいけない4B
というフレーズが話題になったことをご存知ですか?
バンドマンバーテンダー美容師の「B」からはじまる3つの職業
「3B」に就いている男性と付き合うと痛い目にあうと言われていたのですが、
さらに4番目の「B」としてベーシストが挙げられたのです。
ベーシストはバンドマンなので、その時点で2冠達成なワケですが、
ベーシストって一見陰の存在のようにも思えますよね。
日本の音楽シーンにおいてベーシスト、そして作編曲家として
40年以上にもわたる長きにわたり活躍する後藤次利
音楽をよく聞く人でないとご存知ないかもしれないですが、
彼もまた一見縁の下の力持ちのようでいてさまざまな人の
心を掴んで離さない魅力的なアーティストなのです。
今回はそんな彼の経歴を辿ってみることにしたいと思います。


キャリアのはじまり

後藤次利
参考元URL:https://www.pakutaso.com/20130439099post-2612.html

後藤次利は1952年2月5日生まれ。
中学生の時、姉が買ってきたビートルズやベンチャーズのレコードに
触発されロックに目覚めます。
はじめはギターを手にするのですが、大学進学後にブレッド&バターのツアーで
ベーシストがいなかったためにベースを頼まれ、のちにレコーディングにも
呼ばれたことがきっかけでベーシストへ転身します。
そしてそのままさまざまなセッションに参加し、
プロとしてのキャリアがスタートするのです。

ベーシスト出身プロデューサーの起源?! 作編曲家としての活躍

後藤次利
参考元URL:https://cdn.pixabay.com/photo/2013/03/11/04/48/sound-studio-92384_1280.jpg
原田真二「シャドーボクサー」から編曲活動をはじめ、
沢田研二の代表曲「TOKIO」でその手腕が有名になりますが、
1980年代には作曲家としても活躍するようになります。
はじめは近藤真彦、シブがき隊など男性アーティストに関わることが
多かったようですが、おニャン子クラブの作品へ関わったことをきっかけに
女性アイドルの曲をたくさん発表するようになります。
特に工藤静香はシングル20曲、アルバム曲100曲近くを手がけています。

またシンガーソングライターの中島みゆきとの共作もあり、
中島みゆきからは楽曲の幅広さを評価されていたと言います。
亀田誠治や故・佐久間正英などベーシスト出身で作編曲家、
プロデューサーとして活躍しているアーティストは多いですよね。
ベーシストはギターとドラムに挟まれ、音程とリズムの両方の面で
ちょうど間に挟まれるようなポジションになります。
バンドの中でアンサンブルを一番冷静に見ることができる立場なので、
演奏者だけではなく楽曲制作でも活躍する人が多いようです。
後藤次利はそんなベーシストのはしりとも言えるのではないでしょうか。

参考動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=gRBV4dwKo

アイドルキラーの異名をとった80年代

後藤次利

参考元URL:https://www.pakutaso.com/20160251038post-6860.html
前述のとおり、おニャン子クラブの作品に関わったことから
作詞家秋元康とのタッグを中心に女性アイドル関係の仕事が増えます。
今も昔もアイドルといえば「恋愛禁止」。
特に関係者との恋愛はタブー視されていたはずなのですが、この頃
彼はたびたびアイドルとの恋愛でスキャンダルを繰り返します。

現在の結婚や嫁は?

結婚も3回しており、

1回目はシモンズの玉井タエ、2回目は木之内みどり
そして1994年におニャン子クラブの河合その子と結婚をして、現在に至っています。
2人目の奥さん木之内みどりは駆け落ちのような形で結婚し、
芸能界も引退したにもかかわらず、8年後には堀ちえみとの
不倫報道をきっかけに離婚することになります。
そしてその堀ちえみもこのスキャンダルを機に、
一時芸能界を引退してしまうのです。
なんとも波乱万丈な話ですよね。
ただ、当時のアイドルは多忙な上にマスコミに追い回されて
外部の人間との接点がなく、交友関係がほぼ仕事関係の人に限られていたため、
必然的に関係者との間で恋愛に発展することは多かったようです。
ベーシストは自分が主張することよりも他のパートとの関係性の中で、
楽曲の全体像を見ながら演奏をしていくことが多いですが、その分
空気が読めて聞き上手な人も多いように思います。
彼も自己主張の激しくないと生き残っていけない芸能界で生きる
アイドルの心を知らず知らずのうちに掴んでしまったのかもしれませんね。

スラップを広めた立役者

後藤次利

参考元URL:https://www.pakutaso.com/20130209044post-2420.html
エレキベースを指で弾いたり引っ張って打ちつけることによって
パーッカッシブな音を出すスラップ奏法。
今では国内外を問わず一般的な奏法として幅広い楽曲に取り入れられて
いますが、日本で広まった頃はチョッパー奏法と言われていました。
そのきっかけになった曲がティン・パン・アレーの楽曲「チョッパーズ・ブギ」。
そしてその時ベースを弾いていたのが後藤次利なのです。
今でもこの奏法をチョッパーと呼ぶ人は多く、影響力の大きさを感じます。

とんねるずとの関係

後藤次利
参考元URL:https://www.pakutaso.com/20160221035post-6837.html
今や大御所芸人になったとんねるずにも多くの楽曲を提供し、
仕事で関わることも多く、ラジオなどでよく話題にされていたそうです。
女癖が悪く子供のようにワガママだと言われていたとか。
目立ちたがり屋で、本来ステージに立つはずではなかったライブで
黄色い声援を浴びてついついベースを弾き続けてしまったり。
それでも仕事関係が続いていたのは、彼のキャラクターがまわりの人の
心を掴んで離さなかったこと、信頼関係があったからではないでしょうか。

現在は?

後藤次利

参考元URL:https://free-illustrations.gatag.net/tag/現在地
還暦を過ぎた現在ももベーシストとしての活躍の他、
作編曲家としてAKB48など盛んに楽曲提供もしています。
2016年に国民的美少女コンテストのファイナリストで
結成されたグループX21に作詞家の松井五郎とのタッグで
楽曲提供したことも記憶に新しいところです。
多くのアーティストがSNSで自身の活動を発信する中、
2015年に突然オフィシャルサイトを閉鎖しtwitterの更新を止め、
事実上SNSでの発言を停止してしまうなど、型にはまらない
独特の価値観は健在のようですね。

参考動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=Rvb_oFSwT-M

結び

今回は後藤次利氏の経歴を辿ってみました。
ベーシストで作編曲家というと一見陰の立役者のような存在ですが、
日本の音楽シーンのいろいろなところに影響を与えていることが
おわかりいただけたかと思います。
知らない間に彼の楽曲を耳にしていた人も多かったのではないでしょうか。
どこか憎めないキャラクターも魅力いっぱいだと思います。
今後の活躍にも目が離せませんね

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