日本の神様の集まりといえば七福神ですよね!
恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の七人の神様がいますがその紹介されるときの写真や絵には必ず写っているものがあります!
それは乗っている船です!今回は七福神の中でもあえて船について紹介していこうと思います!
七福神が乗っている船とは?
さてこのように七福神の乗っている船ですが名前は「宝船」といいます!
帆船なのですが、帆には「宝」と書かれているのでなんとなくイメージがつくかもしれませんね!
この宝船と七福神が書かれている絵が描かれている絵が普通になっていますが、このような構図になったのはなんと江戸時代からなんだそうです!
今でも初夢というのはありますがこの初夢というのが広がったのは江戸時代なんです!そして初夢をいい夢を見るために、枕の下に、七福神の宝船を書くといいというような風潮が広がりました!
もちろんこれはなかなか、なんの根拠もないことですが皆さんも子供の時に寝る前に好きな人形やぬいぐるみを抱いて「夢に出てきてほしいな」と念じながら寝た記憶もあるのではないでしょうか?
しかし、この宝船も今は「宝」と書かれていますがこの初夢を狙うところはいい夢を見るためですよね?
この夢というのは悪い夢をみないためですので宝船の帆には「貘(ばく)」と書かれることもあったようです!
獏というのはあの悪い夢を食べるバクのことです!このように宝船描かれているときというのは夢にたいして、大きな意味を持つようになっていたんですね!
このように宝船の凄さをわかってもらえたと思いますが、では一体この七福神と宝船というのが一般的な構図になっていたのかを紹介していこうと思います!
宝船の構図を作ったのは徳川家康?
こちらは歴史の噂程度の話なのですが先ほど話した通り、宝船と七福神の構図が広まったのが江戸時代というのを紹介しましたが、この構図を作ったのは、あの徳川家康なんだといわれています!
その理由は、徳川家康という人は意外と信仰や神頼みを大事にする人で何か大きな戦いの時には仏の小さな仏像を懐に入れていたことも有名です!そんな徳川家康や初夢とかに注目するのも当たり前なんですよね!
そしてこのような構図考えて作ったのは七福神のご利益と宝船という構図がとても縁起がいいと考えたからですね!
室町時代から神様は「船」に乗ってやってくるという形が信仰されていたので徳川家康は宝船という乗り物を使いたかったのかもしれませんね。
しかし、この構図が現代まで残っていてそれが普通に残っているというのは本当にすごいですね!
江戸時代にはこの七福神と宝船の絵を描くのが一種のステータスだったようですよ。
七福神は船に乗ってやってくる!
さて先ほど神様は船に乗ってやってくると紹介してきましたが、七福神のなかでも日本の神様ではないものが多くいいます。
例えば大黒天や毘沙門天も日本ではなく海外の神様が伝わって七福神入りしました!
このように日本では海外から神様がやってくることが多く、また日本は島国で回りは海ですので、船にのってやってくるというのが、定説になったのもこのような意味かもしれませんね!
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最後に
今回は宝船について紹介してきましたが
やはり縁起のいいものだったんですね!