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芦屋雁之助の死因は?兄弟や結婚した嫁や娘は?

芦屋雁之助は、1931年5月29日生まれ
京都府京都市出身。

若くして喜劇役者として人気を得
た芦屋雁之助は、後年、若き日に演じた
山下清画伯役の「裸の大将」が
ドラマ化され、当たり役になり
世代を超え多くの人に愛されました。

そんな芦屋雁之助は、喜劇人?
俳優?歌手?。そして死因は?、
結婚した嫁、子供は?を、
今回、徹底的に調べてみました。

芦屋雁之助は、喜劇人?俳優?

芦屋雁之助は18歳の時
弟・秀郎と漫才師、芦の家雁玉
林田十郎に弟子入り。

お笑いの世界でキャリアをスタート。

弟とともに「雁之助・小雁」の名をもらい
「若手漫才の有望株」
といわれ将来を嘱望されます。

が、1954年、開場した
「OSミュージックホール」に入り、
座付作者の花登筐のコントを演じ

以来、花登筐にすすめられ、
兄弟で喜劇役者に転身。

1959年、花登筐が東宝から
独立して結成した「劇団・笑いの王国」に
大村崑らと参加。

芦屋雁之助は同年3月にスタートした地上波TV、
公開コメディー番組「番頭はんと丁稚どん」(毎日放送)で、
薬屋の番頭を演じ、一躍!日本中の人気者になります。

そして1964年、芦屋雁之助は
弟の小雁らとともに、劇団「喜劇座」を旗揚げ。

座付き作家であった藤本義一から
芦屋雁之助の風貌が、画家の山下清に
似ている事を指摘され
それをヒントに藤本が舞台劇
「裸の大将放浪記」を書き上げ、初演。

これが評判を呼びますが
芦屋雁之助は劇団を解散後、
東京を活動の拠点に移
喜劇人としてだけでなく、
個性派俳優としても活躍。

芦屋雁之助は1976
、人気時代劇「必殺シリーズ」の
「必殺からくり人」で山田五十鈴と共演。

こちらも人気時代劇
「水戸黄門」にも1968~1998年迄
何度もゲスト出演を重ね
その存在感を確たるものとします。

1979年、森光子と共演した舞台
「おもろい女」で芸術祭大賞を
受賞後、若き日の当たり役だった
「裸の大将」が、1980年に
関西テレビ・フジテレビ系でドラマ化。

芦屋雁之助が演じた
「裸の大将放浪記」は爆発的人気になり、
1980年から1997年に渡り
全83作品放送されました。

芦屋雁之助は、歌手?

1984年2月1日
作詞:鳥井実、作曲:松浦孝之、
編曲:池多孝春
歌唱:芦屋雁之助で発売された
「娘よ」は
発売から3ヶ月でオリコンのトップ10に初登場。

2週間6位にランクイン。
100位以内には1年以上ランクイン
の大ヒットになりました。

結果、「娘よ」は1984年度
「第26回日本レコード大賞」
特別賞を受賞。

また、全日本有線放送大賞
最優秀新人賞。
日本演歌大賞、特別賞。
日本有線大賞、大衆賞 も獲得。

更には!芦屋雁之助
、この「娘よ」で、同年年末、
NHKの「紅白歌合戦」にも出場。

芦屋雁之助は、「娘よ」の
ヒットによって、歌手としても
広く知られるようになりました。

芦屋雁之助の死因は?

芦屋雁之助は還暦も少しすぎた
1994年頃から、持病の糖尿病が悪化。

静養しながら
テレビや舞台出演を継続。

2004年4月7日、糖尿病と
併発しやすいと言われる心不全、
病名「鬱血性心不全」のため
京都市の病院で死去しました。

72歳没。

芦屋雁之助は、弟と共に大食漢で知られ
多い時で1日5回の食事を摂っており
それが原因の糖尿病といわれてます。

が、芦屋雁之助は
「山下清の役作りのために

体重を落とすわけにもいかない」と、晩年述べていたそうです。

芦屋雁之助の結婚した嫁、子供は?

芦屋雁之助は、1960年3月1日
大村昆、弟の小雁とともに、
当時としては極めて珍しい3組合同による
「テレビ結婚式」を、29歳の時に挙げてます。

お三人とも当時
テレビ番組「番頭はんと丁稚どん」の成功で、
国民的人気者、時の人だったので
実現した、「TV結婚式」だったのでしょう。

その時の芦屋雁之助の
最初の結婚相手は、元・OSミュージックのダンサー夏丘梨枝でした。

が、その後離別。

芦屋雁之助の二度目の奥様も
梅田コマ劇場のダンサー出身の、
20歳近く年下の大島久里子(西部久里子)ですから、
女性ダンサーが好みだったようです。

芦屋雁之助の生前のエピソード

山下清画伯を演じた芦屋雁之助は
晩年は糖尿病のため食事制限が必要でした。

でも演技上、山下清が好きという
設定のおむすびを、何度も口にしなくてはならず
苦労したそうです。

芦屋雁之助の二度目の奥様も
梅田コマ劇場のダンサー出身の、
おむすびの差し入れが多くあり
ファンに気を使って、目の前で無理をして
食べてみせることもあったそう。

このへんは、芦屋雁之助の人と
なりがうかがえる、エピソードです。

また、芦屋雁之助は
1日に6、7杯は珈琲を飲むほど
珈琲好きだったそう。

「苦くて、濃いのが好きやった。まめな人だから、
自分でもいれる。とにかく珈琲が好きでね」と、
通っていた珈琲店のマスターが、回想してます。

芦屋雁之助死去の際行われた
「偲ぶ会」には、森光子を始め
200人が足を運んだそうで
生前の芦屋雁之助の悪い噂は、
ほとんど聞かれなかったようです。

結び

「大阪のおばちゃん」は昨今
若者の会話の中でも使われる、
お笑いトークの普通のキーワードになってます。

で、芦屋雁之助こそが
その「大阪のおばちゃん」が言いそうな
言葉を「番頭はんと丁稚どん」で発し
ブラウン管から日本中に
それを広め、人気者になった元祖です。

芦屋雁之助の強面の顔で
役も下の者には厳しい薬屋の番頭が、
時としてみせる女性的な仕草から発する言葉。

「いやいやっ、もの凄いこと言わはる」、
「いやっ!えらいとこ見つかってしもうた」が、
それです。

芦屋雁之助は若くしてコメディアン、喜劇人として大成功。
中年以降は、個性派俳優としても歌手としても成功した、
正に!マルチタレントでした。

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