SNSで「#競馬の日」を見かけて、何の日か気になったあなた。実は、「日本初の洋式競馬」が開催された記念日ですが、その歴史は幕末にさかのぼり、知れば知るほど深いロマンに満ちています。今日は、そのトリビアと、現代の競馬につながるドラマを、わかりやすくお届けします。
結論:競馬の日は2つある? まずはこの事実を押さえよう
「競馬の日」を調べると、最初に出くわすのがこの混乱です。実は「日本初の洋式競馬」には、主催者が異なる2つの説があります。
1外国人主催の「横浜・根岸競馬場」説:1866年(慶応2年)
2日本人主催の「東京・靖国神社」説:1870年(明治3年)
どちらも「初」という冠は正しく、トレンドで話題になるのは後者の「1870年5月10日(旧暦4月10日)」が多いようです。この二重構造こそが、日本の競馬史の面白さの入口です。
そもそも「洋式競馬」って何が新しいの?
江戸時代からあった「競馬(くらべうま)」は神社の奉納行事。直線を走るシンプルな形態でした。
- 楕円形の周回コース:持久力と戦略が問われる。
- 賭け(馬券)のシステム:観戦者を巻き込むエンターテインメント性。
- 近代スポーツとしてのルール:イギリスで発展した体系的な競技。
この新しい文化が、開国後の横浜に住む外国人たちによって日本に持ち込まれました。
物語の始まりは横浜! 居留地の外国人たちが作った夢
幕末の横浜。居留する外国人たちの「故郷のスポーツがやりたい!」という熱意が、日本初の競馬場を生み出します。
11862年:仮設の「横浜新田競馬場」でレース開始
21866年:常設の「根岸競馬場」が完成
この根岸競馬場で1866年12月に行われた競走が、日本初の本格的洋式競馬とされています。
- 出走馬はサラブレッドではなく、在来馬や中国産のポニー。
- 観客はほぼ外国人。日本人は好奇の目で見守っていた。
- これが好評で、春と秋の開催が恒例化した。
日本人の手による「国産」洋式競馬が東京で誕生
外国人の盛況ぶりを見た明治新政府も動き出します。目的は主に二つ。
- 軍馬の改良・増強
- 西洋文化の積極的な導入
そして1870年、東京・九段(現在の靖国神社)の境内で、兵部省主催による洋式競馬が開催されました。これが、日本人主催による国内初の洋式競馬です。
超重要キャラ! ナポレオン3世からの贈り物
ここで、もう一つの重要なピースが登場します。フランス皇帝ナポレオン3世が、江戸幕府にアラビア馬などの洋馬を贈呈したのです。
外国からもたらされた「競馬」という文化と、「サラブレッド」の礎となる馬。この二つの出会いが、日本の近代競馬の幕を開けたのです。
歴史を知ると行きたくなる! 発祥の地・聖地巡礼
このストーリーを知ると、以下のスポットがただの公園や神社ではなく、歴史の舞台に見えてきます。
1横浜・根岸競馬場跡地(根岸森林公園)
「日本最初の近代競馬場」の説明板がひっそりと佇んでいます。山手の洋館街散策と合わせて、歴史散歩を楽しめます。
2東京・靖国神社
馬場跡は残っていませんが、広い境内を歩きながら「ここで明治の競馬が繰り広げられていたのか」と想像を巡らせてみてください。
まとめ:競馬の日が教える、日本の近代化ストーリー
「競馬の日」は、単なる記念日ではありません。それは、幕末から明治にかけて、日本が「馬」と「スポーツ」を通じて世界と交わり、近代化していった過程を象徴する日です。
- 1866年:横浜で外国人が始めた、日本初の本格洋式競馬。
- 1870年:東京で日本人が主催した、国産初の洋式競馬。
- そこには、ナポレオン3世からの贈り馬という国際的なドラマも絡み合っていました。
次に「#競馬の日」がトレンド入りしたら、この深い歴史を思い出してみてください。GIレースの走るサラブレッドの背景に、150年以上にわたる壮大な物語が流れていることに気づけば、観戦がもっと味わい深いものになるはずです。

コメントを残す