毎年2月になると、どういうものか
チョコレートの売上げがやたら増える
ようですね。
わざとらしく「どういうものか」などと
書きましたが、どういうものもこういう
ものもありません。
言わずと知れたバレンタインデイのためです。
このバレンタイン、どういうものか日本
では女性が男性にチョコレートを贈り、
好意を伝えるというイベントになっています。
しかし、これは海外、特にバレンタイン
発祥の地であるヨーロッパでは、贈り物
は特にチョコレートに限定されてはいません。
このバレンタインデイの元になったのが、
聖ウァレンティヌスです。
ウァレンティヌスは日本語の表記では、
バレンディヌス、バレンティヌスなど
さまざまです。
ウァレンティヌスは人々の愛を守るため
に殉教し、カソリックの聖人となっています。
そこで今回は、そのウァレンティヌスにスポットをあて、その足跡などを調べてみました!
バレンタインの由来とは?
バレンタインデイは、本来はキリスト教
の殉教者に由来する宗教的な意味合いの
日なのです。
しかし、現在の日本では完全に
チョコレートの日と化しています。
特に女性が、意中の(とは限りませんが)
男性にチョコレートを贈り、その意を
伝えるという風習が日本には根付いています。
もっとも、この「女性が男性にチョコレー
トを贈る」のは、日本独自の習慣で、欧米
では親しい者が『相互に』にカードや花束、お菓子などを贈っています。
それがなぜ日本では女性が男性にチョコ
レートを贈るのでしょうか?
それは
商魂
のためです!
その発端には諸説があり、定説はありません。
- 神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説
- 森永製菓説、伊勢丹説
- ソニープラザ説
- メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹説
この中ではモロゾフ説が最も有力なようですね。
1936年2月12日に、モロゾフ社が英字新聞
『ザ・ジャパン・アドバタイザー』誌に
広告を掲載したのです。
「あなたのバレンタインにチョコレートを
贈りましょう」というものです。
当時のモロゾフの本店があった阪神御影
駅の広場は、現在は「バレンタイン広場」
とされています。
それにより、聖バレンタインゆかりの地
であるイタリアのテルニ市から「お墨付き」
をもらっているのです。
森永製菓説、伊勢丹説は、1960年に森永
製菓が「愛する人にチョコレートを贈り
ましょう」と新聞広告を出しました。
伊勢丹は1965年にバレンタインデーの
フェアを開催し、これがバレンタインデー
普及の契機となったとする説です。
しかし、「バレンタインデー」の文字が
ある広告は、それ以前にも掲載されてい
るので、これが最初というわけではありません。
ソニープラザ説は、1968年に自社の輸入
雑貨専門店ソニープラザが、チョコレー
トを贈る習慣を流行させようと試みたことによるものです。
メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹説
メリーチョコレートカムパニー社が1958
年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタイン
セール」というキャンペーンを行ったことによるものです。
日本のバレンタインデーの特徴は、女性
から男性へ贈ること、贈る物のほとんど
がチョコレートに限定されているという点です。
もっとも最近では、チョコレート以外に
クッキーやケーキ、マフラーなどを贈る人も出できました。
また、このチョコレートにも色々とバリ
エーションが生まれました。
- 恋人ではないが、友人として贈る『義理チョコ』
- 同性(主に女性)間で贈り合ったりする『友チョコ』
- 男性が女性に渡す『逆チョコ』
- 自分で買って食べる『自己チョコ』
- 男性が男友達に送り合ったりする『強敵(とも)チョコ』
はぁ・・・ どうぞご自由に、と言いたくなりますね。
ウァレンティヌスの殉教
バレンタインデーの由来となった、
聖ウァレンティヌスですが、
「一応」実在の人物です。
一応というのは、ウァレンティヌスの
足跡や業績には不明の点が多い
からなのです。
又、ウァレンティヌスには、1人の人間で
はなく複数の人間が擬せられています。
ウァレンティヌスは正教会・カトリック
教会などで聖人に列せられています。
1969年までは、カトリック教会では2月14日
を聖ウァレンティヌスの殉教の日と定めていたのです。
しかしこれは現在では廃止されています。
その理由は、ウァレンティヌスの足跡に
は不明な点が多く、実在さえ疑われる点
もある、ということからでしょう。
ウァレンティヌスには、3人の聖職者が擬せられています。
- ローマの司祭
- 現在のイタリアに相当する地域の司祭
- ローマ帝国領のアフリカの殉教者
これらの人物は、同一人物であるとも言
われ、又全て架空の人物で実在しないと
も言われています。
これだけあやふやな話ですから、ウァレ
ンティヌス非実在説が語られるのもやむ
を得ないでしょうね。
もっともウァレンティヌスの時代は西暦3世紀です。
日本でいえば、卑弥呼の時代ですね。
卑弥呼の実在も確認されてはいません。
2000年近く前のことを、そう簡単に確認
などできるわけがありません。
時は3世紀、ローマ帝国時代のことです。
当時、ローマ帝国では、
2月14日は女神・ユーノーの祝日でした。
ユーノーはすべての神々の女王であり、
家庭と結婚の神でもあります。
翌日の2月15日は、豊年を祈願する
ルペルカリア祭の始まる日でもあったのです。
祭りの前日、娘たちは名前を書いた紙を
桶の中に入れ。翌日、男たちは桶から札を1枚ひくのです。
男と札の名の娘は、祭りの間パートナー
として一緒にいることとなります。
これに対して当時の新興宗教だった
キリスト教は、強く反対していました。
また、ローマ帝国皇帝クラウディウス2世
の命により、士気が下がるという理由で、
兵士たちの婚姻は禁止されていたのです。
当時キリスト教の司祭だったウァレンティヌス
(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲
しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていました。
これが皇帝の知るところとなり、
ウァレンティヌスに結婚式を行わない
ように命令しました。
この頃、ウァレンティヌスは皇帝を説い
てキリスト教に帰依させようとしていた
ようです。
一時は皇帝もウァレンティヌスの話に耳
をかたむけていたのですが、結局キリス
ト教禁止に傾いてしまいました。
そして、ウァレンティヌスはその命令に
従わなかったため投獄され、
拷問の末処刑されてしまいます。
これが2月14日のことで、処刑の方法は、撲殺とのことです。
この日は、ユーノーの祭日であり、
ルペルカリア祭の前日でもあります。
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に
捧げる生贄ということのようですね。
このためキリスト教徒にとっても、この
日は祭日となり、恋人たちの日となったというのです。
これ以前にウァレンティヌスは様々な
秘儀で奇跡をもたらしていました。
その一つが盲目の少女への奇跡です。
ウァレンティヌスが投獄されていた牢屋
の看守には召使いがおり、その召使いには娘がいたのです。
その娘は幼い頃から目が見えませんでした。
ウァレンティヌスが投獄されていると聞
き、彼女はその牢屋をしばしば訪れました。
そしてウァレンティヌスの容体を気遣う
と同時に、キリスト教の説教を受けていたのです。
ところが、ウァレンティヌスの説教を受
けている内に、奇跡がおきました。
不治の筈の目の病が治り、彼女は
目が見えるようになったのです!
この奇跡に彼女の家族たちは大いに感銘
を受け、敬愛するウァレンティヌスに
願ってキリスト教に帰依したのです。
尚、この盲目の少女は召使いの娘ではな
く、取り調べをした「アステリオ」とい
う判事の娘という説もあります。
結び
バレンタインデーは、日本では今や国民
的祭典の一つになっています。
女性から男性に自分の好意を伝えられる
という点が、女性達に人気となったのでしょうね。
しかも本命以外に、義理チョコ、友チョコ、
逆チョコ、自己チョコ、強敵(とも)チョコ
などのバリエーションが生まれているのです。
その内に、「第二ボタンチョコ」とか、
「いらチョコ」(いらないチョコ)も
出て来るかも知れませんよ。
そのバレンタインデーの元となったのが、
西暦3世紀のキリスト教の司祭
ウァレンティヌスです。
ウァレンティヌスは盲目の娘を、目が見
えるようにしたり、数々の奇跡を起こし
て、民衆の尊敬を集めていました。
彼はローマ帝国で熱心にキリスト教を布
教していましたが、皇帝の逆鱗に触れ、
撲殺されてしまいます。
そしてカソリックではその処刑の日、
2月14日を聖ウァレンティヌスの殉教の日
と定めたのです。
しかしこれは現在では廃止されています。
このウァレンティヌスの足跡と、今の
日本のバレンタインデーとは、ほとん
どなんの関係もなさそうですね。